ビルの中のエレベーターの扉。なんとなくバブルな時代の名残を感じさせる。
他にもビルの入口を見てみると、どことなく当時の面影を感じるのだが、それは気のせいなのだろうか?

山田詠美の小説にはしばしばこの伝説ともいえるディスコ「ムゲン」が登場する。特にムゲンが舞台となった連作短編集『フリーク・ショー』には当時の赤坂の様子が良く絵が描かれている。
では、「ムゲン」とは一体どんなディスコだったのだろう。実はここは元々はシザーパレスという高級クラブだった。地上2階、地下2階の豪華絢爛なクラブだったらしい。そのクラブを経営していたのが、当時銀座などでいくつかのクラブを経営していた増山誠氏だった。そこに、ヨーロッパやアメリカなどをまわり、衝撃的なディスコに感銘した浜野安宏氏がそういう店をやりたいと話し、増山氏がシザー・パレスを自由に改装して良いと言い、それがムゲンが誕生するきっかけとなったのだ。
ムゲンのオープンは1968年5月18日。2年後には大阪万博が控えていた。川端康成や三島由紀夫、コシノジュンコ、加賀まりこっといった人たちが集まるようになったと言う。ムゲンは1987年2月15日に閉店するのだが、その20年の間にはいくつかの流れがあった。第1期が68年から73年頃まで。そして、第2期が73年から78年頃までで、ソウル・ディスコ、あるいはライブディスコとしてその名が定着した。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』などでディスコが一般的になった78年から87年までが第3期である。
山田詠美が通っていいたのは、この第3期の頃だっただろう。
ムゲンのあった場所を当時の電話帳で調べてみると、ムゲンは「パンジャパン」というビルの中に入っていた。ところが、当時の地図を見てみると、ビルの名前ではなく、「ムゲン」と書かれている。どれだけこのディスコが大きかったかということがわかる。
なお、「パンジャパン」ビルは今でも同じ場所にあり、今は違ったテナントが入っている。
しかし、どこか当時の面影が残るビルだと感じた。

参考資料:『BRIO』2005年9月号「赤坂「ムゲン」伝説」p29-33
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ムゲン