ホテル・ニュージャパン

ホテル・ニュージャパンは二・二六事件の時に部隊が立ち寄った日本料亭「幸楽」の跡地に1960年に建てられた。当時は東洋最大の格式を謳い文句にしており、第一次ホテルブームの先駆けともなった。日本初のトロピカルレストランやオープンカフェ、ショッピングアーケードなど構えていた。
しかし、1982年2月8日、宿泊者の寝たばこが原因と思われる火災が発生し、ホテル側の不備などにより死者33名を出す大惨事となった。そしてホテルニュージャパンは1982年2月10日に閉業となった。

詠美が「焼け焦げた跡の臭い」と記しているが、ホテルが閉業となった後も、建物は1996年までそのまま残された。火災後、ホテルのオーナーであった横井氏に多額の貸し付けを行っていた千代田生命保険が貸付金の担保であったこのホテルを競売により売却しようとしたが、買い手が付かず、千代田生命が自己落札した。ところが、その千代田生命自体が経営破綻してしまったために、再開発事業の途中でプルデンシャル生命がこの土地を買収した。
2002年にプルデンシャルタワーとして完成し、今に至る。